家族が認知症の場合、そのままでは遺産分割協議ができません
父が亡くなり実家の相続手続きを進めようとした際、相続人の一人である「母」が認知症を患っているケースは決して珍しくありません。
結論から申し上げますと、重度の認知症で判断能力(意思能力)がない状態の場合、そのままでは遺産分割協議を行うことはできません。
遺産分割協議は、相続人全員の合意によって成立する法律行為です。意思能力がない人が参加して作成された遺産分割協議書は法的に「無効」となります。そのため、「母は施設にいてよくわからないから、子どもたちだけで決めてしまおう」「母の代わりに子どもが署名捺印しよう」といった対応は一切認められません。法務局での名義変更や、銀行での預金解約手続きは却下されてしまいます。
放置は厳禁!罰金(過料)や「口座凍結」のリスク
「母が認知症で話し合いができないから、とりあえずそのままにしておこう」と放置することは、現在では非常に大きなリスクを伴います。
リスク1:相続登記義務化による「過料」
令和6年(2024年)4月1日より、相続登記が義務化されました。不動産を相続したことを知った日から3年以内に正当な理由なく手続きを行わない場合、10万円以下の過料の対象となる可能性があります。「話し合いができない」という理由だけで放置し続けることは推奨されません。
参考:法務省「不動産を相続した方へ ~相続登記・遺贈の登記の申請をされる方へ~」
リスク2:実家の「預貯金の引き出し」ができない
不動産だけでなく、亡くなった方の銀行口座も「遺産分割協議」が終わらなければ原則として解約・引き出しができません(口座凍結)。生活費や介護費用、葬儀費用の支払いに充てようとしても、親の口座からお金を引き出せなくなってしまうという深刻な問題が発生します。
認知症の相続人がいる場合の手続き・3つの選択肢
認知症の方がいる状態で相続手続きを進めるには、ご家族の「将来の目的」に合わせて、以下の3つの選択肢から方針を決めることになります。
| 選択肢 | 目的・状況 | 概要 |
| ① 成年後見制度の利用 | 実家を売却・単独名義にしたい 預金を解約したい | 家庭裁判所で後見人を選任し、根本的に解決する方法 |
| ② 相続人申告登記(新制度) | とりあえず登記の義務だけ果たしたい | 法務局へ申告し、暫定的に過料のペナルティを回避する方法 |
| ③ 法定相続分での共有登記 | (※おすすめできない方法) | 遺産分割をせず、法律上の割合で共有名義にする方法 |
それぞれの詳細と、注意すべきリスクについて解説します。
選択肢① 【根本的に解決する】成年後見制度の利用
家庭裁判所で認知症の方の代理人となる「成年後見人」を選任してもらい、後見人を交えて適法に遺産分割協議を行う方法です。実家を将来的に売却したい場合や、誰か一人の子どもが単独で相続したい場合、または凍結された預金を引き出したい場合は、この制度の利用が必須となります。
- 注意すべきリスク・負担後見人には「本人の財産を守る義務」があるため、「母の取り分をゼロにして子どもが全て相続する」といった遺産分割は原則としてできません。また、親族が後見人になっても、その親族自身も相続人である場合は「特別代理人」の選任が別途必要になります。成年後見制度は遺産分割が終わっても終了せず、原則として母が亡くなるまで続きます。専門家(司法書士や弁護士など)が選任された場合は、継続的な報酬が発生します。
選択肢② 【とりあえず義務を果たす】相続人申告登記(新制度)
「実家をどうするかはゆっくり決めたいが、とりあえず相続登記の義務違反(過料)は避けたい」という場合の選択肢です。令和6年からスタートした新制度で、法務局に対して「自分が相続人の一人であること」を申告するだけで、当面の登記義務を果たすことができます。
- 注意すべきリスク・負担単独で比較的簡単に申請できますが、あくまで「過料を免れるための暫定的な手続き」に過ぎません。不動産の名義が正式に変更されるわけではなく、銀行口座の凍結解除にも使えません。将来的に実家を売却する際には、結局①の成年後見制度等を利用した正式な手続きが必要になります。
選択肢③ 【おすすめできない方法】法定相続分での共有登記
遺産分割協議を行わず、法律で定められた割合(法定相続分)で、母と子どもたちの「共有名義」として名義変更を完了させる方法です。
- 注意すべきリスク・負担共有名義にした後、母が認知症のままである限り、実家を売却したり、大規模な修繕をしたりすることが事実上不可能になる「不動産の塩漬け状態」に陥る危険性が非常に高いため、実務上はおすすめできません。
まだ間に合う方へ:成年後見制度を回避する「生前対策」
ここまで「すでに重度の認知症になってしまった場合」の解決策を解説してきましたが、成年後見制度はご家族への負担が大きい制度でもあります。
もし、「親はまだ意思能力がある(軽度の認知症を含む)」「今回残された親や、自分たちの将来のために備えておきたい」という場合は、以下の「生前対策」を行うことで、将来の実家の塩漬けや預金凍結のトラブルを未然に防ぐことができます。
| 生前対策の種類 | 制度の概要 | こんな方におすすめ |
| 家族信託 | 親が元気なうちに、実家や預貯金の管理・処分の権限を「信頼できる家族(子ども等)」に託す契約。認知症になっても子ども主導で実家の売却等が可能になる。 | 認知症による「実家の塩漬け」や「口座凍結」を確実に防ぎたい方。 |
| 遺言書の作成 | 誰にどの財産を相続させるか、生前に法的効力のある書面(公正証書など)で残しておく制度。遺産分割協議そのものが不要になる。 | スムーズに手続きを完了させたい方。特定の家族に財産を多く残したい方。 |
| 任意後見契約 | 将来判断能力が低下したときに備え、あらかじめ「誰に後見人を頼むか」を自分で決めて契約しておく制度。 | 見知らぬ専門家ではなく、信頼できる家族や専門家を自分で選んでおきたい方。 |
これらの対策は「本人の判断能力が失われる前」に行う必要があります。「少し物忘れが増えてきたかも」と感じたタイミングが、対策を検討する重要なサインです。
まとめ:認知症絡みの相続・生前対策は専門家へご相談を
認知症の相続人がいる場合の手続きは、「成年後見制度を利用して根本的に解決する」か「まずは相続人申告登記で暫定的に義務を果たすか」など、状況によって正解が異なります。また、まだ間に合うのであれば「家族信託」などの生前対策が非常に有効です。
相続人に認知症の方がいる場合の手続きは、通常の相続と比べて格段に複雑になります。成年後見制度の利用を含め、お早めに当事務所にご相談ください。


